カイロプラクティックの歴史
カイロプラクティックはアメリカで100年以上前にD.D.パーマーにより発見された新しい療法です。『カイロプラクティック』とは、パーマーの患者であり友人でもあったサムエル・ウィードによって名づけられました。
【カイロプラクティック誕生の瞬間】
D.D.バーマーは人間の病気の根源を研究していました。研究の中で、17年間耳が聞こえないというハービー・リラードの症状を調べておりました。
脊柱を検査している際、椎骨(背骨)が盛り上がり、コブがあることを発見しました。D.D.バーマーはその骨をもとに戻せば聴力が回復するのではないかと考え、リラードを説得して両手でその椎骨を押し込むと、17年間失われていたリラードの聴力が回復しました。
それが1895年9月18日のことであり、世界で最初にカイロプラクティックが誕生した瞬間です。
【カイロプラクティック法制化】
パーマーのカイロプラクターとしての人生は、18年間と比較的短いものでありましたが、カイロプラクティックの発展に全てを捧げました。
D.D.パーマーが亡くなった1913年には、オクラホマ州・ノースダコタ州・カンザス州で初めてカイロプラクティックが法制化されました。
その後、医師会からの圧力などに遭いながらも、科学的根拠や教育機関の充実を図りながら、孫のD.D.パーマー3世の時代(1974年)に、アメリカ全州で法制化されました。
【カイロプラクティックの現在】
現在、米国で認可されている専門大学の卒業生は、『脊推の専門家』として毎年多くのカイロプラクティックの専門医が誕生し、活躍しています。
米国の他、欧米を中心に44カ国で法制化されていて、法制化されている国では、カイロプラクティック大学を卒業し、国家資格を取得している者だけがカイロプラクティックの治療行為を行うことができます。
日本では法制化されておらず、国家資格は必要ありませんが、民間の団体が発行している資格を持っているか、まったく資格がなくても施術行為を行うことが可能なので、施術者によるレベルの差が大きいのが現状です。
カイロプラクティック(整体)院の選び方については、過去の記事を参考にしてみてください。
学生時代の部活動での怪我をきっかけに、19歳からカイロプラクティックを学び始める。
2021年1月〜【明石駅前整体サロン Salon de Betory】店長
・JCA(日本カイロプラクティック連合会)正会員
・JCCE(日本カイロプラクティック教育諮問委員会)会員
・明石市子育て支援講師